【当たり前を疑う~Unreal~ #5】英語は本当に必要か?
▼当たり前を疑う~Unreal~
教育に携わる者として、今の当たり前がこれからもそうである保証はありません。
むしろ、変化のスピードが早い昨今では今の当たり前を疑う方法を子どもたちに伝えていくべきではないでしょうか。学習塾コンサルティング、異業界のマーケター、学校の進路指導担当、プロコーチなど、
様々な形で教育に携わる人材を抱えるLacicuならではの特集記事です。このシリーズを通して、今の当たり前を疑うような問いを皆様に投げかけていきます。
「問い」から「未来」が生まれる時代。
その始まりをつくる。
「これからはグローバル化が進むから英語は必須!」
「英語が話せるようにならないと将来困ることになる!」
「日本は少子化が進んでおり、海外とのやりとりが増える!」
このような話はいつから言われているのでしょうか?
少なくとも私が学生の頃にはよく言われていたため、20年以上は言われ続けているのでしょう。
しかし、果たして本当に英語を使う必要性は本当に増えているのでしょうか?
実際には英語ニーズ増加の可能性を否定する証拠もそれなりにあります。
今回は「英語は本当に必要か?」について疑ってみたいと思います。
統計データで考えてみる
英語使用は増えているのかについては、統計データさえあれば簡単に判断できます。
しかし、残念なことに、信頼に足る英語使用調査は近年行われていません。
なので、様々な傍証から間接的に類推するしかなく、様々な説が生まれる要因になっていると言ってもよいでしょう。
英語ニーズについて調べたと称する調査がWeb上にとりあげられることがよくありますが、ほぼすべてがアンケートフォームをメール等でばらまいただけであり、この手のWeb調査は社会調査としては信頼が置けないということは周知の事実です。
以下、寺沢拓敬氏『「日本人と英語」の社会学:なぜ英語教育論は誤解だらけなのか』研究社より抜粋
日本版総合的社会調査を著者が2次分析した結果です。
同調査の2006年版と2010年版では、過去1年間の英語使用が尋ねられている。
Q:あなたは過去1年間に、以下のことで英語を読んだり、聞いたり、話したりしたことが少しでもありますか?
- 仕事
- 外国の友人や知人との付き合い
- 映画鑑賞、音楽鑑賞、読書
- インターネット
- 海外旅行
- まったく使ったことがない
「少しでも」と念押ししている点が重要である。つまり、たとえ日頃は仕事で英語を使っていなくても、もし一度でも使う機会があった人は「仕事」に丸をしたことになる。したがって、日常的に英語を使用している人だけではなく、たまたま英語を使う羽目になってしまった人も含まれている。
2006年と2010年のパーセンテージを比較すると、インターネット以外全て減少に転じていた。
つまり、2000年代後半、英語使用は減っているが、少なくとも増えていなかった。
(反対に、「まったく使ったことがない」は55.6%から60.8%と明らかに増えている)
この結果は、多くの人には意外な結果ではないでしょうか。
当時から「英語はますます必要になる!」と散々言われていたと思います。
あなたにとって、英語が必要かどうか
「グローバル化の時代だから、英語がますます必要になる!」
という言説について、実際のデータでは逆だということを示してみました。
様々な情報があふれていますが、英語に関しては殊更ポジショントークの意味合いが強いと思われます。
さらに、テクノロジーが今以上に発達し、同時翻訳の制度がさらに向上した場合を考えたときに、
本当に英語の勉強は必要なのでしょうか?
全員が等しく英語ができる必要はあるのでしょうか?
その子にとって、英語を学ぶことにどんな意味があるのか、教育者はそこから考える必要があるのではないでしょうか。